日本人唯一のキャッチャーのメジャーリーガーとして名を残す城島健司氏。
この記事では、城島健司氏のダイエー・メジャー・阪神時代の年俸推移と年度別成績、現在の仕事内容や引退理由について紹介していきます。
城島健司の現役時代の年俸推移と年度別成績【ダイエー/メジャー/阪神】
城島健司氏の現役時代の年俸推移と年度別成績がこちら。
年度(満年齢) | チーム | 年俸 | 成績 | 追記事項 |
---|---|---|---|---|
1995(19歳) | ダイエー | 840万円 | 12試 率.167 0本 1点 阻止率.400 | 契約金1億円 |
1996(20歳) | ダイエー | 860万円 | 17試 率.241 4本 9点 阻止率.364 | – |
1997(21歳) | ダイエー | 1800万円 | 120試 率.308 15本 68点 阻止率.323 | – |
1998(22歳) | ダイエー | 4300万円 | 122試 率.251 16本 58点 阻止率.354 | – |
1999(23歳) | ダイエー | 6450万円 | 135試 率.306 17本 77点 阻止率.328 | – |
2000(24歳) | ダイエー | 1億5000万円 | 84試 率.310 9本 50点 阻止率.372 | – |
2001(25歳) | ダイエー | 1億8000万円 | 140試 率.258 31本 95点 阻止率.380 | – |
2002(26歳) | ダイエー | 2億3500万円 | 115試 率.293 25本 74点 阻止率.508 | – |
2003(27歳) | ダイエー | 2億円 | 140試 率.330 34本 119点 阻止率.427 | – |
2004(28歳) | ダイエー | 4億円 | 116試 率.338 36本 91点 阻止率.452 | – |
2005(29歳) | ソフトバンク | 5億円 | 116試 率.309 24本 57点 阻止率.397 | – |
2006(30歳) | SEA | 6億5200万円 | 144試 率.291 18本 76点 阻止率.337 | 3年契約1年目 |
2007(31歳) | SEA | 7億1200万円 | 135試 率.287 14本 61点 阻止率.465 | 3年契約2年目 |
2008(32歳) | SEA | 7億6600万円 | 112試 率.227 7本 39点 阻止率.325 | 3年契約3年目 |
2009(33歳) | SEA | 9億2000万円 | 71試 率.247 9本 22点 阻止率.537 | 3年契約1年目 オフに残り2年を破棄 |
2010(34歳) | 阪神 | 4億円 | 144試 率.303 28本 91点 阻止率.349 | 4年契約1年目 |
2011(35歳) | 阪神 | 4億円 | 38試 率.189 5本 13点 阻止率.450 | 4年契約2年目 |
2012(36歳) | 阪神 | 4億円 | 24試 率.179 0本 5点 阻止率- | 4年契約3年目 オフに残り1年を破棄 |
- SEA:シアトル・マリナーズ
強打強肩の日本を代表するキャッチャー
1994年ドラフト1位で福岡ダイエーホークスに入団した城島健司氏。
若手時代はバッティングを期待されており、ルーキー時代の二軍でのポジションはサードやファーストでした。
その後「ホームランを打てるキャッチャーを目指せ」という球団の指令の元、キャッチャー一本で勝負し、入団3年目にレギュラー定着。
以降は、2003年にMVPを獲得するなど球界を代表するキャッチャーとして活躍しました。
- 最優秀選手:1回(2003年)
- ベストナイン:6回(捕手部門:1999年~2001年、2003年~2005年)
- ゴールデングラブ賞:8回(捕手部門:1999年~2005年、2010年)
2006年から4年間はMLBのマリナーズへ移籍し、強肩強打のキャッチャーとして活躍。
英語に苦心しながらもピッチャーと連携を深めることに時間を使い、それにもかかわらず3割20本近くの打撃成績を残したことは現地の識者を驚かせたと言われています。
現役最後は阪神に移籍して、1年目は相変わらずの打棒を発揮したものの、最後の2年は怪我の連続でキャッチャーを続けられなくなり、2012年に現役引退。
自身最高年俸は、マリナーズ時代の9億2000万円でした。
メジャー時代含め、引退まで盗塁阻止率が3割を切ることがなかったほどの強肩捕手でした。
城島健司の現役時代の生涯年俸は?
城島健司氏の現役時代の生涯年俸は61億5750万円です。
項目 | 年俸額(日本円) |
---|---|
ドラフト契約金 | 1億円 |
日本プロ野球での年俸総額 | 30億750万円 |
メジャーでの年俸総額 | 30億5000万円 |
生涯年俸 | 61億5750万円 |
城島健司の引退理由や現在の仕事内容は?
城島健司氏は、2012年に4年契約の4年目を破棄して引退。
引退理由は、2010年終盤に負った左膝半月板の怪我を発端とするコンディションの悪化です。
この怪我を機に成績が一気に降下した上、右肘の靭帯損傷や腰痛も併発。
その後も左ひざ裏の肉離れを起こしたりと、もはやキャッチャーを守れるコンディションではなくなってしまったことで引退を決意しました。
城島健司の引退後の現在の仕事内容は?
引退後は約10年間、野球界からは完全に距離を取る格好となり、自身の趣味にまつわるテレビ番組への出演をメインに活動。
- 「城島健司のJ的な釣りテレビ」への出演
- 「城島健司と金谷多一郎のモア☆ゴル」への出演(既に番組は終了)
引退後は「元プロ野球選手」ではなく、もはや「本業釣り師」とも言われていました。
その後時が経つにつれ、ダイエーのエース・斉藤和巳氏の引退記念セレモニーで捕手役を務めた他、OB戦で工藤公康氏と往年のバッテリーを組んだりと、徐々に野球界にも顔を出すように。
そして、2020年から福岡ソフトバンクホークス会長付特別アドバイザーに就任。
ソフトバンク・王会長は城島氏の素養を高く買っており、将来的には監督就任もあり得る人材ではあるものの、城島氏がフルタイムのコーチや二軍監督に就かないところからするとその可能性は低そうです。