栗山英樹監督の退任に伴い、侍ジャパンの監督に就任間近とも噂されていた工藤公康氏。
工藤氏は現役として実働29年で通算224勝、監督として7年で5度の日本一を達成するなど、プロ野球の第一線で活躍してきた偉大な人物です。
この記事では、工藤氏の現役・監督時代の年俸推移や成績、これまでにプロ野球で稼いだ生涯年俸額について紹介していきます。
工藤公康の現役時代の年俸推移【西武/ダイエー/巨人/横浜】
年度(年齢) | 球団 | 年俸 | 成績 | 特記事項 |
---|---|---|---|---|
1982(19歳) | 西武 | 480万円 | 27試 1勝1敗 防3.41 | 契約金6000万円 |
1983(20歳) | 西武 | 600万円 | 23試 2勝0敗 防3.24 | – |
1984(21歳) | 西武 | 680万円 | 9試 0勝1敗 防2.92 | – |
1985(22歳) | 西武 | 560万円 | 34試 8勝3敗 防2.76 | – |
1986(23歳) | 西武 | 1520万円 | 22試 11勝5敗 防3.22 | – |
1987(24歳) | 西武 | 2900万円 | 27試 15勝4敗 防2.41 | – |
1988(25歳) | 西武 | 5300万円 | 24試 10勝10敗1S 防3.79 | – |
1989(26歳) | 西武 | 5500万円 | 33試 4勝8敗2S 防4.96 | – |
1990(27歳) | 西武 | 4600万円 | 13試 9勝2敗 防3.36 | – |
1991(28歳) | 西武 | 5600万円 | 25試 16勝3敗 防2.82 | – |
1992(29歳) | 西武 | 8500万円 | 25試 11勝5敗 防3.52 | – |
1993(30歳) | 西武 | 9500万円 | 24試 15勝3敗 防2.06 | – |
1994(31歳) | 西武 | 1億6000万円 | 24試 11勝7敗 防3.44 | オフにFA宣言 |
1995(32歳) | ダイエー | 1億6000万円 | 22試 12勝5敗 防3.64 | – |
1996(33歳) | ダイエー | 1億6000万円 | 29試 8勝15敗 防3.51 | – |
1997(34歳) | ダイエー | 1億4500万円 | 27試 11勝6敗 防3.35 | – |
1998(35歳) | ダイエー | 1億6000万円 | 15試 7勝4敗 防3.07 | – |
1999(36歳) | ダイエー | 1億5000万円 | 26試 11勝7敗 防2.38 | オフにFA宣言 |
2000(37歳) | 巨人 | 1億5000万円 | 21試 12勝5敗 防3.11 | FA契約金7500万円 |
2001(38歳) | 巨人 | 3億円 | 5試 1勝3敗 防8.44 | – |
2002(39歳) | 巨人 | 2億4000万円 | 24試 9勝8敗 防2.91 | – |
2003(40歳) | 巨人 | 3億円 | 18試 7勝6敗 防4.23 | – |
2004(41歳) | 巨人 | 2億8000万円 | 23試 10勝7敗 防4.67 | – |
2005(42歳) | 巨人 | 2億9000万円 | 24試 11勝9敗 防4.70 | – |
2006(43歳) | 巨人 | 2億9000万円 | 13試 3勝2敗 防4.50 | FAの人的補償で移籍 |
2007(44歳) | 横浜 | 9000万円 | 18試 7勝6敗 防3.91 | – |
2008(45歳) | 横浜 | 1億1000万円 | 3試 0勝2敗 防5.27 | – |
2009(46歳) | 横浜 | 5000万円 | 46試 2勝3敗10H 防6.51 | オフに戦力外通告 |
2010(47歳) | 西武 | 3000万円 | 10試 0勝2敗 防10.50 | オフに戦力外通告 |
ドラフト6位がドラフト1位の契約金と年俸額を上回った
1981年のドラフト6位で西武ライオンズに入団した工藤公康氏。
工藤氏は甲子園で大活躍しドラフト1位確実と言われていましたが、実際のドラフトでは6位と下位での指名となりました。
これは工藤氏がドラフト前に「プロ指名お断り」を通達したにもかかわらず、西武が工藤氏を6位で強行指名したことが理由。
工藤氏がドラフト1位級の評価であったことは、その年のドラフト1位だった伊東勤氏の契約金と初年度年俸より上の金額をもらっていることからも伺い知れます。
選手名 | 契約金 | 年俸 |
---|---|---|
伊東勤(1位) | 5000万円 | 300万円 |
工藤公康(6位) | 6000万円 | 480万円 |
2度のFA権行使
工藤氏は29年の現役生活において、西武・ダイエー・巨人・横浜の4チームに在籍。
この内、「西武→ダイエー」「ダイエー→巨人」の2回の移籍でFA権を行使しています。
1度目の西武からダイエーへのFA宣言の際は、練習設備がなかなか改善されなかったことが原因でした。
2度目のFAについては工藤氏はするつもりはなく、当時のダイエー球団代表の放言による関係悪化が原因でやむなく退団したと言われています。
この球団代表は、後の小久保選手の無償トレードにも深く関わっています。
工藤氏がダイエーから巨人への移籍した際、17万3000人分ものファンからの残留を願う署名が集まりました。
これに対し工藤氏は、直筆で宛名と住所を書いた感謝の手紙を7年かけて全員に送ったというエピソードがあります。
最高年俸は3億円
工藤氏は第一次西武在籍の最終年の1994年に、年俸が1億6000万円に到達。
1度目のFA移籍先のダイエーホークスにおいては、一度も西武時代の年俸を上回ることはありませんでした。
その後、2度目のFAで移籍した巨人で38歳にして自己最高額の3億円に到達。
これは2001年当時の年俸ランキングにおいて2位で、1位は松井秀喜氏の5億円でした。
工藤公康の監督時代の年俸推移【ソフトバンク】
年度(年齢) | 年俸 | 順位 | 成績 |
---|---|---|---|
2015(52歳) | 1億円 | 1位 | 143試 90勝49敗4分 率.647 |
2016(53歳) | 1億円 | 2位 | 143試 83勝54敗6分 率.606 |
2017(54歳) | 1億円 | 1位 | 143試 94勝49敗0分 率.657 |
2018(55歳) | 1億円 | 2位 | 143試 82勝60敗1分 率.577 |
2019(56歳) | 1億円 | 2位 | 143試 76勝62敗5分 率.551 |
2020(57歳) | 1億円 | 1位 | 120試 73勝42敗5分 率.635 |
2021(58歳) | 1億円 | 4位 | 143試 60勝62敗21分 率.492 |
7年で日本一5回の名将
工藤公康氏は、前年に日本一を達成しながらも勇退した秋山幸二氏の後を引き継ぎ、2015年からソフトバンクの監督を務めました。
勉強熱心で仕事熱心な工藤氏は、特にピッチャーの育成システムの構築に尽力。
ホークスの名捕手・城島氏も「工藤さんが築いたホークスのピッチャーのシステムは宝」と言及しています。
工藤公康の生涯年俸額は?
工藤公康氏の生涯年俸額は43億5740万円です。
ドラフト契約金 | 6000万円 |
FA移籍金 | 7500万円 |
選手としての総年俸額 | 35億2240万円 |
監督としての総年俸額 | 7億円 |
生涯年俸 | 43億5740万円 |
工藤公康の現役・監督時代の年俸推移!成績や生涯年俸額は?【まとめ】
この記事では、工藤氏の現役・監督時代の年俸推移や成績、これまでにプロ野球で稼いだ生涯年俸額について紹介してきました。
工藤氏の現役時代の総年俸額は35億2240万円、監督時代が7億円で、契約金を合わせた生涯年俸額は43億5740万円にのぼります。