バスケットボールの神様、マイケル・ジョーダン氏。
実はジョーダン氏は一時期野球転向していた時期があり、ホワイトソックスのマイナーチームでプレイしていた経験があります。
この記事では、マイケル・ジョーダン氏の野球の通算成績からどんな選手だったのかを分析しつつ、なぜ野球選手になったのか経緯と理由を考察していきます。
【バスケの神様】マイケル・ジョーダンはなぜ野球選手になった?
マイケル・ジョーダン氏は1993年シーズン後に突如プロ野球選手になることを表明。
当時既に誰しもが知るスーパースターだったジョーダン氏の野球転向は、世間に衝撃を与えました。
今で言うと、大谷翔平選手がサッカー転向するくらいの衝撃度でしょうか。
ここではその経緯と理由を考察していきます。
マイケル・ジョーダンのバスケットボールでのキャリア
マイケル・ジョーダン氏は言わずと知れた「バスケの神様」。
ジョーダン氏が野球転向までにバスケ界で残した功績がこちら。
- NBAチャンピオン:シカゴ・ブルズで3連覇(1991~1993年)
- NBAファイナルMVP:3年連続受賞(1991~1993年)
- NBAシーズンMVP:3度(1988年、1991~1992年)
- NBAオールスター出場:9年連続(1985~1993年)
- NBAオールスターMVP:1度(1988年)
- NBA新人王:1985年
- NBA得点王:7年連続(1987~1993年)
- NBAスティール王:3度(1988年、1990年、1993年)
1993年シーズン終了まで、バスケ界での表彰と言う表彰を総なめしてきた本物のスーパースターです。
バスケットボールを引退し、野球転向した経緯
当時所属していたシカゴ・ブルズが3連覇を果たすなど、順調なバスケットボール人生を送っていたジョーダン氏でしたが、1993年に人生最大の悲しい出来事が起きてしまいます。
それが最愛の父親、ジェームズ・ジョーダンの他界です。
しかもそれが強盗に襲われてのもので、痛ましい事件でした。
父親の急逝のショックが大きすぎたジョーダン氏は、バスケットボール引退を表明。
引退後、突如として野球選手になることを表明しました。
マイケル・ジョーダン野球転向の理由:父親との約束
バスケットボール引退後に野球転向を決意した理由は、亡くなった父親との約束と言われています。
ジョーダン氏は、突然MLBに挑戦した理由についてこのように語っています。
「野球選手になることは父親と約束した夢」
挑戦には比較的寛容なアメリカでも当時は相当なバッシングがあり、新聞には「野球は諦めた方がいい」という記事を掲載されたこともありました。
それでもあきらめずに挑戦を継続したジョーダン氏。
お遊びで野球選手を目指したわけではなく、本気でやっていたことが分かります。
これも父親と約束したからなのかもしれません。
【マイケル・ジョーダン】マイナー時代の通算成績
マイケル・ジョーダン氏は野球転向表明後の1994年、シカゴ・ホワイトソックスの2Aチームであるバーミンガム・バロンズに入団。
2Aでの通算成績は127試合出場、打率.202、3本塁打、51打点、30盗塁で、野球転向は1年で終わりを告げることとなりました。
マイケル・ジョーダンの野球選手としての特徴
野球選手としてはほぼアマチュアレベルからのスタートであったことから、全体的な成績は低かったものの秀でたところもありました。
まずは圧倒的なチャンスの場面での強さが挙げられます。
打率が.202と低く、しかもホームランが3本しかない中での51打点は堂々のチーム4位で、リーグでも35位に入る好成績でした。
さすがにバスケで頂点を極めただけあって、精神力の強さはハンパじゃありません。
またバスケ選手ならではの身体能力の高さも持ち味でした。
特に走力はさすがで、盗塁30はリーグ5位。
一方で盗塁失敗も18あり、成功率は62.5%でした。
盗塁には技術が必要ではあるものの、圧倒的な身体能力でカバーしたことが伺えます。
打撃成績詳細
試合数 | 127 |
打率 | .202 |
本塁打 | 3 |
打点 | 51 |
盗塁 | 30 |
得点 | 46 |
出塁率 | .290 |
長打率 | .266 |
OPS | .556 |
打席 | 497 |
打数 | 436 |
安打 | 88 |
二塁打 | 17 |
三塁打 | 1 |
盗塁死 | 18 |
四球 | 51 |
三振 | 114 |
守備成績詳細
守備位置 | 外野手 |
試合数 | 119 |
補殺 | 6 |
エラー | 11 |
守備率 | .952 |
マイケル・ジョーダンはメジャーリーガーになれた?
「あのままマイケル・ジョーダンが野球を続けていたらメジャーリーガーになれたのか?」はよくある質問です。
この問いに関して、ヤンキースのレジェンドであるデレク・ジーター氏はこのように答えています。
「2Aでプレイできるということは、メジャーでも通用するということ。」
実際のところ、2Aからメジャー昇格する選手は多数存在しています。
2Aからメジャーに昇格した選手の中で有名なのが、三冠王を取ったミゲル・カブレラ選手。
もしあのまま野球を続けていて、どこかのタイミングで3割でも打とうものならメジャー昇格もあり得ない話ではありませんでした。
もちろん知名度抜群のジョーダン氏がメジャーでプレイするとなれば観客動員増は確実なので、興行的な要素も含めてではありますが。
【野球転向】マイケル・ジョーダンの野球の通算成績!なぜ野球選手になった?【まとめ】
この記事では、マイケル・ジョーダン氏の野球の通算成績からどんな選手だったのかを分析、なぜ野球選手になったのか経緯と理由を考察しました。
ジョーダン氏は最愛の父親を亡くし、父親との約束を守るためにバスケを引退し野球転向しました。
野球転向は成功したとは言い難いものの、チャンスの強さや走力の高さには目を見張るものがあり、もしもう少し続けていればメジャー昇格もあったかもしれません。