往年の名選手のみが入会を許される名球会。
名球会の入会には条件がついているものの強制ではなく任意で、過去には入会拒否している人もいます。
この記事では、名球会の入会条件や歴代メンバー、入会拒否した事例について紹介していきます。
名球会とは?入会条件を解説!
名球会とは、日本プロ野球で特定の条件をクリアしたレジェンド選手のみが入会できる団体のことです。
名球会への入会条件
- 昭和生まれ以降のNPB所属選手、もしくは引退選手であること。
- 投手はNPB・MLBで通算200勝もしくは250セーブ以上。
- 野手はNPB・MLBで通算2000本安打以上。
- その他、推薦による特例入会。
通算記録の取り扱いは、日本プロ野球でのプレイを起点とします。
名球会の歴史
創設者は金田正一氏、発足当時の会員は18名でした。
代表取締役は金田正一氏、取締役は王貞治氏と長嶋茂雄氏。
一般社団法人になった当時の理事長は王貞治氏。
現在の名球会の体制
役職 | 名前 |
---|---|
理事長 | 古田 敦也 |
副理事長 | 野村 謙二郎 |
副理事長 | 佐々木 主浩 |
理事 | 柴田 勲 |
理事 | 東尾 修 |
理事 | 谷繁 元信 |
理事 | 宮本 慎也 |
顧問 | 長嶋 茂雄 |
顧問 | 王 貞治 |
顧問 | 山本 浩二 |
名球会の活動内容
名球会の活動内容は、「日本プロ野球界の裾野を広げることと社会の恵まれない方々への還元」という目的に沿って、下記のような活動が行われています。
- 国内外での少年野球指導
- 被災者支援イベントやチャリティゴルフで集まった募金の寄付
歴代名球会入りメンバーと実績一覧
歴代名球会入りメンバーを功績ごとに分けて紹介していきます。
【野手】2000本安打達成
名前 | 達成日 | 通算安打数 | 達成年齢 |
---|---|---|---|
長嶋茂雄 | 1971年5月25日 | 2471 | 35歳3か月 |
広瀬叔功 | 1972年7月1日 | 2157 | 35歳10か月 |
張本勲 | 1972年8月19日 | 3085 | 32歳2か月 |
王貞治 | 1974年8月4日 | 2786 | 34歳2か月 |
土井正博 | 1977年7月5日 | 2452 | 33歳6か月 |
松原誠 | 1980年4月23日 | 2095 | 36歳3か月 |
柴田勲 | 1980年8月7日 | 2018 | 36歳5か月 |
藤田平 | 1983年5月3日 | 2064 | 35歳6か月 |
福本豊 | 1983年9月1日 | 2543 | 35歳9か月 |
山崎裕之 | 1983年9月18日 | 2081 | 36歳8か月 |
山本浩二 | 1984年5月5日 | 2339 | 37歳6か月 |
有藤通世 | 1985年7月11日 | 2057 | 38歳6か月 |
若松勉 | 1985年10月9日 | 2173 | 38歳5か月 |
加藤秀司 | 1987年5月7日 | 2055 | 38歳11か月 |
門田博光 | 1987年8月26日 | 2566 | 39歳6か月 |
新井宏昌 | 1992年7月8日 | 2038 | 40歳2か月 |
秋山幸二 | 2000年8月18日 | 2157 | 38歳4か月 |
駒田徳広 | 2000年9月6日 | 2006 | 37歳11か月 |
立浪和義 | 2003年7月5日 | 2480 | 33歳10か月 |
イチロー | 2004年5月21日 | 4367 | 30歳6か月 |
清原和博 | 2004年6月4日 | 2122 | 36歳9か月 |
古田敦也 | 2005年4月24日 | 2097 | 39歳8か月 |
野村謙二郎 | 2005年6月23日 | 2020 | 38歳9か月 |
石井琢朗 | 2006年5月11日 | 2432 | 35歳8か月 |
松井秀喜 | 2007年5月6日 | 2643 | 32歳10か月 |
田中幸雄 | 2007年5月17日 | 2012 | 39歳5か月 |
前田智徳 | 2007年9月1日 | 2119 | 36歳2か月 |
金本知憲 | 2008年4月12日 | 2539 | 40歳0か月 |
松井稼頭央 | 2009年8月15日 | 2705 | 33歳9か月 |
小笠原道大 | 2011年5月5日 | 2120 | 37歳6か月 |
稲葉篤紀 | 2012年4月28日 | 2167 | 39歳8か月 |
宮本慎也 | 2012年5月4日 | 2133 | 41歳5か月 |
小久保裕紀 | 2012年6月24日 | 2041 | 40歳8か月 |
A・ラミレス | 2013年4月6日 | 2017 | 38歳6か月 |
中村紀洋 | 2013年5月1日 | 2106 | 39歳9か月 |
谷繁元信 | 2013年5月6日 | 2108 | 42歳5か月 |
井口資仁 | 2013年7月26日 | 2254 | 38歳7か月 |
和田一浩 | 2015年6月11日 | 2050 | 42歳11か月 |
新井貴浩 | 2016年4月26日 | 2203 | 39歳2か月 |
福留孝介 | 2016年6月25日 | 2450 | 39歳1か月 |
荒木雅博 | 2017年6月3日 | 2045 | 39歳8か月 |
青木宣親* | 2017年6月11日 | 2648 | 35歳5か月 |
阿部慎之助 | 2017年8月13日 | 2132 | 38歳4か月 |
鳥谷敬 | 2017年9月8日 | 2099 | 36歳2か月 |
内川聖一 | 2018年5月9日 | 2185 | 35歳9か月 |
福浦和也 | 2018年9月22日 | 2000 | 42歳9か月 |
坂本勇人* | 2020年11月8日 | 2205 | 31歳10か月 |
栗山巧* | 2021年9月4日 | 2086 | 38歳0か月 |
【投手】200勝達成
名前 | 達成日 | 通算勝利数 | 達成年齢 |
---|---|---|---|
小山正明 | 1964年8月13日 | 320 | 30歳0か月 |
米田哲也 | 1966年8月14日 | 350 | 28歳5か月 |
鈴木啓示 | 1977年4月26日 | 317 | 29歳6か月 |
山田久志 | 1982年4月29日 | 284 | 33歳9か月 |
江夏豊 | 1982年7月2日 | 206 | 34歳1か月 |
平松政次 | 1983年10月21日 | 201 | 36歳1か月 |
東尾修 | 1984年9月15日 | 251 | 34歳3か月 |
村田兆治 | 1989年5月13日 | 215 | 35歳0か月 |
北別府学 | 1992年7月16日 | 213 | 41歳3か月 |
工藤公康 | 2004年8月17日 | 224 | 36歳9か月 |
野茂英雄 | 2005年6月15日 | 201 | 42歳11か月 |
山本昌広 | 2008年8月4日 | 219 | 41歳5か月 |
黒田博樹 | 2016年7月23日 | 203 | 41歳5か月 |
【投手】250セーブ達成
名前 | 達成日 | 通算セーブ数 | 達成年齢 |
---|---|---|---|
佐々木主浩 | 2000年7月16日 | 381 | 32歳4か月 |
高津臣吾 | 2003年8月16日 | 313 | 34歳8か月 |
岩瀬仁紀 | 2010年6月16日 | 407 | 35歳7か月 |
【投手】特例入会
名前 | 入会日 | 参考記録 |
---|---|---|
上原浩治 | 2022年12月9日 | 134勝 104H 128S |
藤川球児 | 2022年12月9日 | 61勝 164H 245S |
【2023年】名球会入りが近い選手
名球会入会拒否したメンバーはいる?理由は?
落合博満氏は名球会への入会を拒否したことで知られています。
ここでは落合博満氏が名球会入りを拒んだ理由を紹介します。
落合博満が名球会に入らなかった理由①当時は現役だった
落合氏が名球会に入らなかったのは、「2000本を達成した時にまだ現役だったから」と語っています。
落合氏が2000本安打を達成した当時はまだ景気が良く、名球会はシーズンオフに様々な行事を行って活発に活動していました。
現役選手で、名球会の行事のためにオフの貴重な時間を使いたくないという気持ちから入会を断ったと本人が語っています。
長嶋茂雄氏に直接相談してお墨付きをもらったそうです。
落合博満が名球会に入らなかった理由②そもそも活動内容に魅力を感じていない
落合氏は現役時代の早い段階から「1999本打ったら引退する」と発言していました。
この発言の裏には、そもそも落合氏が名球会の活動内容に魅力を感じていなかったことが考えられます。
過去には名球会の会員からも、活動内容に疑問を呈する声が上がったことがありました。
- 野茂英雄氏「名球会は一体何をする組織なのか?」
- ある会員「ゴルフばっかりやってないで、もっと社会貢献した方がいい」
落合氏も口にこそ出していないものの名球会の活動内容に疑問を抱いていて、入る価値がないと判断したのかもしれませんね。
落合博満が名球会に入らなかった理由③入会条件に疑問を抱いている
落合氏は名球会の入会資格に異論を唱えていて、「2000本安打や200勝みたいな数字で区切る意味が分からない」といった趣旨の発言をしています。
逆に投票で選ばれる殿堂入りについては肯定的で、実際に自身の殿堂入りの時はかなり喜んでいました。
ちなみに殿堂入りの際、落合氏は「野球界からもらえるものは全部いただいた」と発言。
このことから落合氏は、名球会入りは名だたる表彰と比較すると特段名誉なことではないと捉えていると推測できます。
落合博満が名球会に入らなかった理由④金田正一との確執(デマの可能性大)
金田正一氏は落合氏がプロ入り時に監督を退任していたものの、フロントとして球団に残っていました。
入団後のキャンプで金田氏が落合氏のバッティングを見て「こんな打ち方じゃプロじゃ通用せん」と放言。
それに対し落合氏は「俺は社会人経由だから大丈夫だったけど、高卒だったらあんな言われ方したら潰れるよ」と苦言を呈しました。
この事件があってから落合氏は金田氏のことを嫌っていたため、実質的な金田氏の独裁組織だった名球会に入ることを拒んだと言われています。
【名球会】入会条件は?歴代名球会入りメンバーは誰?入会拒否事例も紹介!【まとめ】
この記事では、名球会の入会条件や歴代メンバー、入会拒否した事例について紹介しました。
名球会の入会条件は野手だと2000本安打、投手だと200勝もしくは250セーブの達成が不可欠となります。
最近は特例入会も認められるようになり、2022年は上原浩治氏と藤川球児氏が名球会入りを果たしました。
過去に落合博満氏が入会を拒否していますが、条件を満たしたとしても入会はあくまで任意なので特に問題はありません。